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これだからゆとり世代は・・・。
と、「ゆとり世代」という言葉を聞くのはいつもネガティブな話の時ばかり。
でも本当にこれだから・・・と呆れるような人材ばかりでしょうか。
ゆとり世代だからこその良いところもあるのでは?
一般的にゆとり世代と言われる年代とギリギリ被らなかった私の視点でゆとりの良いところについて考えてみようと思います。
ゆとり世代の目的をひとことでいうと、「生きる力を育てること」。
詰め込み教育の時代から、教育にゆとりを持たせることによって、自分で考える力を養ったり、自分がもっとやりたいことに時間を使うようになるためにという目的がありました。
もっと自分らしく生きるための力をつけよう!って感じでしょうか。
また、教育現場における過度な競争がいじめや不登校など青少年の社会問題を起こして居ると考えられて居てそれを改善する為という一面もありました。
結果として学力低下が問題となって2008年には文部科学省は授業時間の増加などが含まれる改定案を発表してゆとり教育からの転換を迎えました。
ゆとり教育は負の遺産、国の学力低下をもたらした!
というのはわかります。
でも本当にこの施策によってできの悪い若者ばかりになって居るのでしょうか?
これだから若者は・・・
あの人ゆとり世代の人だから、目上の人間へきちんと敬意を示せないのよ!
一方的な評価、レッテル貼り、まさにこれが全てなのではないかと思います。
とか、ゆとり教育が行われた数年が存在して居るだけで、それにあたる年代であるだけでそう評価されてしまって居ませんか。
正直ゆとり教育とは無縁の40代、50代の人だってなんだこの人と思う人は居ます。
でもその年代であればこれだからゆとりは!とは言われない。
そして、20代でもしっかりとした社会性のわる若者だってたくさん居ます。
それなのに、まだその人物のキャラクターをよく知らないのにもかかわらず、この人はゆとり世代だから・・・と最初から構えて接されるのは問題ではないでしょうか。
ゆとり世代、とか団塊世代、とか、その人が生まれ育った時代に世の中で起きたことをその人のキャラクターの一部とすること自体がそもそも間違って居ませんか?
確かに少しは影響を受けることもあるかもしれないけれど、そんな時代背景よりも個性による違いの方がはるかに大きいはずなのに。
ゆとり世代、ゆとり世代、と言われ続けた若者は、僕たちはゆとり世代!と胸をはって「さとり世代」という新しい言葉まで作り始めています。
そんなこと言われなかったらただ素直にまっすぐ仕事に取り組んで居た勤勉な若者だったかもしれない。
周りの大人やメディアがゆとり世代ゆとり世代とレッテルを貼り呼び続けることが、若者の振る舞いを悪い方向へ向かわせて居るのではないでしょうか。
ゆとり世代にだってできる人はいる!
あえて、逆レッテル貼りをして、私が出会ったゆとり教育を受けた世代のできる人の特徴を紹介します。
私はギリギリゆとり世代とは呼びがたい年代で、これから書くことはどれも私からすると少し羨ましく思う部分でもあります。
だいたいみんなこんな感じ、とざっくり社会がこれが一般的としているレールの上をはみ出さないように生きてきた私からは、少し羨ましくも思うのです。
あの子のあの仕事っぷりはもしかしたらゆとり世代の賜物!?
うまくいっている時も、失敗した時もなんか堂々としている。
まあ間違っちゃったんですけどなんとかなるっしょ、ははは〜と余裕の面持ち。
確かに失敗をしてしまった時、反省はもちろん必要だけどいつまでもクヨクヨしては居られない。
失敗を恐れない強い心が、新たなことへの挑戦も容易にして居た様に感じました。
大きな会議室数十名が参加するオリエンテーションで意見することも平気。
目上の人が間違ったことをして居たら何も恐れず指摘します。
ある日、上司が私たちスタッフに無理難題を突きつけます。
そんな時、他の社員は上からのお達しだから、仕方ないね、と受け入れます。
しかしゆとり世代の社員はそんなの間違ってます!と声をあげることができる。
これも、自己肯定感が高くあってのことだろうと思います。
あるプロジェクトの最中、そのチームでは最も忙しい金曜日から土日にかぶせて有給取得するのがなんとなーく避けられて居た社内風潮。
なんとなく、なんとなく、暗黙の了解でした。
そんな中でも、ゆとり社員は気にしません。
どうしても週末にかけて木・金と有給をとります、と。
初めは周りも戸惑います。
でも、誰かがそれはダメ!許されないことだ!と言える理由もなく。
結局彼女の有給の間周りで必死にフォローをしたのですが、それ以降謎の暗黙の了解が徐々に解けていったのです。
本当は前々からみんな週末にかけての有給を取りたかった、そのきっかけを作ったのがゆとり社員でした。
仕事で使うシステムの使い方研修を受けている時、講師を務めたのは、その社内システムを熟知した大ベテラン女性社員でした。
めちゃくちゃ仕事細かく、みっちり監視しては、ダメ出し探しをする様なちょっと意地悪な人だったのです。
そしてその研修での教育内容はもちろんその社員が考えますから、必要以上にめちゃくちゃ細かかったのです。
誰もいえなかったけれどそのゆとり社員が一言・・・。
「なんか無駄な入力多くないですか?」
そのお局社員はイラっとして居ましたが的確すぎて周りも何もフォローもできず。
まだ仕事が残って居ても、夜は集中できないから帰ります!と颯爽をオフィスを後にして、次の日朝早くきてやる。
他の社員はなぜかその日のうちにやらないとと夜遅くまでやって居ても気にしません。
それで翌朝の始業時間までに終わらせていたのであっぱれです。
この様に、ゆとり世代には悪いところばかりではありません。
もちろん、上に挙げたどの「良いところ」ちょっと行きすぎたりすると一瞬にして悪いところに変わり兼ねません。
例えば目上に対して物怖じせずに発言できるという点をとってもちょっと違う様にはたらくと、目上の存在に敬意の払えないバカな若者になります。
つまり、ゆとり世代だから悪いんじゃなくて、各世代間での違いの相互理解ができて居ないだけ、ではないのかなと思うのです。
教育現場だけではなく、その他の環境も日々進化・変化していって居ます。
生まれた時にはカラーテレビがまだ珍しかった人と、生まれた時からインターネットが普及して居た世代がともに働いている社会です。
違った感覚で生きていて当たり前で、その間のギャップを埋めるのは過去の教育がどうだったかではなく、その当人同士です。
ゆとり教育がとっくに終わっている現在の小学生のなりたい職業第一位がyoutuberですよ。
会社に属さず自由に自分のしたいことで生計を立てたいと思っている。
ゆとり教育は受けていない彼らのことは理解できますか?できないですよね?
つまり常に人と人はちがって当たり前。
世代が違えばもっと違って当たり前。
それだけのことです。
今日はあえて逆にゆとり世代だからこその良いところはどこか、と逆レッテルを貼って一般的にネガティブイメージのあるゆとり世代の特徴を良いところとして紹介してきました。
結論としては、ゆとりだからどうってわけではなく時代とともに人は変わっていくのが当たり前だとお伝えしました。
きっと、ゆとり教育で育った人々が寿命を迎えてこの世から1人もいなくなったって、何かと違いを見つけてはお互いにレッテルを貼り批判するはずです。
ゆとり世代はこれだから困ったな〜と決めつけるのではなく、ゆとり世代というレッテルをとってその人物との歩み寄る事の重要性に気がつけると良いですね。
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